第二章 エンパシーマーケティングの実現に向けて
vol.6利用者と共に創る「51%リリース理論」(前編)
「モノづくり改革」を加速させるための教育改革とは


前回のコラムでは、持続可能なマーケティングの新しいアプローチ手法「エンパシー型マーケティング」の考え方について触れました。今回はその根幹となるコンセプト「51%リリース理論」の必要性について、さらに深堀していきたいと思います。なぜこの理論が重要なのか?それは、あらゆる事業領域で大きな地殻変動が起きている今、5年先、10年先を見据えて若い世代に種を蒔くことが何よりも重要であるからに他なりません。どういう意味なのか、少し丁寧に紐解いていきましょう。

「モノづくり改革」を加速させるための教育改革とは

大量消費・大量生産の終焉。
地球の未来を創る「新しいモノ作り」のために何に投資すべきか?

昭和から平成にかけて続いてきた日本的な産業構造(大量生産・大量消費)が破綻を迎えようとしている今、その構造からの脱却という難題が根本にあり、そのための改革をいかに成し得るかが私たちの大きなテーマであることは繰り返し述べてきたとおりです。

モノからコトへ、“(無駄に)つくらない・買わない時代”に「素晴らしい体験」を商品として売っていく。これに対する一つの解として、これまで幾度となく取り上げてきた「51%リリース理論」があるわけです。そのためには、作り手のエゴや自己満足が前面に押し出されたような旧来型の商品開発スタイルを一度捨て去らなければなりません。

メーカーがこれまで積み上げて来たものを捨て去るのは容易なことではないでしょう。しかし過去の成功体験を手放すことからしか、新しいモノを創れる“余地”は生まれてきません。新たな未来を創るには、積極的な「創造的破壊」が実は近道なのです。 “既得権”にすがって改革を惜しんでいるならば、その先にあるのは緩慢な死だという認識を持つべきです。

では、この先、どこに向けて投資すべきなのでしょうか?新しい産業テクノロジー?環境にやさしい新素材?どちらも大切なツールです。間違いなく投資すべき対象でしょう。

しかしまず、社会にとってもマーケットにとっても適切な「消費体験」や「創造体験」を選択できる、良質なユーザーやクリエイターを育てることこそ、今私たちが最も優先して取り組むべき「投資」分野ではないでしょうか。なぜなら、本当の意味で未来を創っていくのは、世界の人口の半分を担う、Z世代とα世代なのですから。

「モノづくり改革」を加速させるための教育改革とは

サスティナブルな社会を長い目で考えたとき、「第二次教育改革」が最初に取り組むべきテーマ

戦後、文部科学省が繰り返してきたマイナーチェンジの教育改革のことではありません(2020年に第5次改革が行われている)。戦後教育の大転換に匹敵するような教育の抜本的改革を意味しています。

とても障壁の高い難解なテーマだと認識しています。あくまでも持論なので、その点ご容赦ください。

第二次大戦後に行われた日本の教育改革における「教育の標準化」は、「ボトムアップ」つまり一定の底上げという役割を果たしたことは間違いありません。計算力や読解力など、世の中を生き抜いていく必要最低限の知識を誰にも等しく身につけさせるという公教育の役割に、大きな意味があったことは否定しません。しかし時代は大きく変わりました。次世代の人材育成という観点からも、現状の「標準化された教育」のままでは不十分であることは誰の目にも明らかです。

ところが、長らく教育の現場では、小手先のマイナーチェンジだけが繰り返されている状況が続いてきました。そのためにさまざまな弊害が起き始めています。数十年前からほぼ進化していない教育カリキュラム然り、高等学校以降の専門教育のビジネス構造然り。この場で詳細に語るにはあまりに多くの文字数を要するので、テーマを絞りましょう。

Vol.4のコラムでも触れましたが、「教育の標準化」が、結果として人材偏重型の集団を生み続けて来たと考えられます。つまり、効率的で生産性が(ある程度)高く従順な“クローン”集団を大量生産して来たのです。1980年前後に生まれた所謂ミレニアル世代以降、「まるい(尖っていない)、やさしい(人を傷つけない)、ふつう(マジョリティ)」であること。さらに、「試験で高得点が取れる人」を目指して普及した教育概念・カリキュラムは、一定の成果を出したものの、反面、「個性(マイノリティ)」を失う(否定する)という重大な誤りを犯してしまったのです。

「モノづくり改革」を加速させるための教育改革とは

さらに、日本は(表面上は)ほぼ単一民族(であるかのような思い込みがある)ので、あらゆることについて「誰もが同じように考え、同じような価値判断をするはずだ」という不思議な前提を共有しようとします。無理もないことでしょう。日本中のほとんどの学校で同じことを学び、同じものを食べ、同じ遊び方をし、人生で最も多感な時期に同じような文化のみを共有して育ってきてしまったのですから。しかし、これはちょっとしたホラーです(そう思いませんか?)。

私がカッコつきで「第二次教育改革」と唱えたのは、この教育システムを根本からリセットしようという提言に他なりません。では、どのように?


感性の芽を潰し個性を奪い従順なクローンを量産してきた「標準化された教育」の弊害

これまで教育者の端くれとして15年ほど、18~22歳を中心に数千名の学生と関わって来ました。時代と共に学生の色(大まかな意味で)も変化してきました。最近の学生は、ざっくり言うと表向きはクローンタイプを装っていますが、実は多面的で複雑な内面を持っています。表面上は穏やかで大人っぽくふるまい、内側の複雑さをそう簡単には見せようとしません。むしろ、複雑な内面を表現する方法論を持たないとも言えるかもしれません。如何せん“独創性”や“創造力”をちゃんと教わって来なかったためです。そして、「自分でゼロから考える」ことを非効率と捉えます。“わからないこと”はちょっとネットで調べるといくらでも転がっていますから、考えるよりも簡単に多くの人が何を“正解”としているのかがわかってしまうのです。(ご存知のとおりネットの情報は玉石混交ですから、フェイクの情報に簡単に流されるという危険性とも隣り合わせです。これは若者に限ったことではありませんが)。そして、それで“知識”を得たと満足してしまう。

「モノづくり改革」を加速させるための教育改革とは

それ以上に危うさを感じるのは、極端な“時短行動”です。YouTube動画はともかく、映画やドラマのコンテンツさえ倍速視聴するのを目にします。授業の動画さえ倍速があたりまえ。効率化と言われると否定できませんが、果たして如何なものでしょう。映画はストーリーの概要さえわかれば、友人との会話に“使える”ので十分なようですが、概要が“わかる“ことは、作品を味わったことになるのでしょうか。そこに、感性のアンテナに触れるといった体験はあるのでしょうか。こと音楽に至っては “イントロ”や“間奏”さえ極力省こうとします。“間”や“タメ”といった“ニュアンス”に作者の芸術性や感性の豊かさを埋め込む意図があるのを無視して、理解できたふりをする。つまり、感性を育む行動さえ効率化しようとするのです。もちろん、小説といった時間と想像力を要するものにも手を伸ばそうとはしません(漫画は大いに読むのですが……!)。

こうした行動に直面すると、効率化、スピード化を追求した近代産業の弊害と情報過多なネット文化の大罪を認めざるを得ません。そして、多くの若者たちは(一部の大人も)実はこのことにとっくに気づいていながらも、自身の行動を変える手段が見つけられないでいるのです。その要因は、近代教育カリキュラムの最大の弊害、「創造力を育むこと」の欠如だと痛感しています。

こうした若者たちに、「良質なコト体験」を選択しながら、豊かな未来の創り手となることを期待する……それはあまりにも大人の都合を優先したイメージの押し付けではないでしょうか。彼らにその役割を期待するのであれば、私たちは、感性の芽を潰して個性を奪い従順なクローン人間を量産するような「標準化された教育」の改革に早急に取り組むべきでしょう。では、どのように?

(前編)了
(後編)に続く


Profile

木村 健UXDセンター センター長
木村健

アナログ・デジタル問わず、あらゆる媒体で商業広告デザインやプロダクトデザイン、ブランド戦略を展開してきたクリエイターでありマーケター。1990年台半ばからさまざまな企業やクリエイターたちと協業し、コラボレーティブ・イノベーションに果敢に挑戦してきた。UI/UX/インタラクションデザイン領域を最も得意とし、Webメディアやアプリケーションデザイン分野で業界を跨いだインキュベーション活動を行っている。また、2007年頃からWeb/IT領域での教育の現場で講師兼メンターとして未来のクリエイター育成に貢献。
オープンイノベーション・コンソーシアムであるUXDセンターでは、初代センター長として立ち上げから参画。異業種プロフェッショナル集団の求心力である。

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